中国ベマ族~長江文明、日本との関係 さらにはユダヤとも?
12月28日(土)にNHKのBSプレミアムで放送された、満島真之介さんをナビゲーターとした『中国秘境 謎の民 ~哀歌 山の民・山の神~』は、また色んな発見をさせてくれた番組でした。
番組の主役は中国の西部、西安(昔の長安)よりもさらに西の甘粛省と四川省の両省にまたがって散在する少数民族「ベマ族」。
自分たちは別の地からこの地に逃れてやって来たという言い伝えを持っています。
番組では四世紀の五胡十六国時代に前秦を建国して中国を統一しようともくろんだ氐族の末裔としていましたが、氐族自体は春秋戦国から漢の時代、三国時代などにもたびたび西方に出現しては、中原を脅かす存在でした。
氐族は一般にはチベット系の民族ではないかと言われる一方、出自のはっきりしない謎の多い民族でもあります。
ベマ族が氐族の末裔なのか、そしてその氐族がチベット系なのかどうかはともかく、ワタシとしては当番組内で紹介されていたベマ族の習俗・文化について、気になる点がいくつもありました。
①山の神が宿る「ツォゲ」と呼ばれる仮面(マージョー)の多くは、目が飛び出ている。
②この仮面を造る職人は、仮面が完成すると「鏡」で「太陽光」を仮面に当てるという行為を儀式的に行う。
③この仮面は祭儀において、災厄退散の目的で複数人が被って行列のように練り歩く。この行列には仮面を被らずに顔面を真っ黒に塗った男たちも参加する。またこの祭りで叩かれる太鼓には太陽の紋様が描かれている。
④ベマ族は男女ともに白い羽を立てて飾った帽子を被る。とくに「ベンブー」と呼ばれるシャーマン(祈祷者)も同じく白い羽を飾った特別仕様の帽子を被る。
⑤この白い羽は、彼らが聖鳥としてシンボル的に大事にする「ニワトリ」にあやかったものである。
⑥「ベンブー」が祈祷を行う際に使われる白い紙で作られた御幣のような造り物は、高知県物部村に残る古神道のひとつ「いざなぎ流」のものと酷似している。
⑦またその祈祷の儀式においては、なんと聖鳥でもある「ニワトリ」を殺し、その「血」で家々の戸口に魔除けの特別な文字を描く。
⑧ベマ族は「イモ」を杵と臼で撞いて「餅」を作る。
⑨ベマ族は自らを「受難の民」だとする言い伝えを持ち、それを歌にして代々伝えてきた。
まず、
①祭儀に使われる目が飛び出た仮面
②その仮面に”鏡”で”太陽光”を当てる
③祭りの太古に太陽の紋様
④白い羽を立てた帽子
⑤白い鳥への信仰
は明らかに以前当ブログで採り上げた長江文明とその太陽信仰における信仰習俗と同じものだと思われます。
とくに④の「羽を立てた帽子」については、それを描いた壁画など(専門家の間で「羽人」と呼ばれる)が長江文明の遺跡や弥生~古墳期の日本の遺跡でも見つかっており、それが現代にまで実際に残されたものではないかと疑われます。
また③についてはユネスコ無形文化遺産にも登録された秋田のナマハゲや能登のアマメハギ、宮古島のパーントゥなど「仮面・仮装の来訪神」の習俗にそっくりです。
「仮面・仮装の来訪神」については、以前当ブログで述べさせていただいた通り(→「ナマハゲ・アマメハギ~来訪神はどこから」)ワタシは「オーストロネシア語族」そしてそのルーツと考えられる「越族」に起源を持ち、それが(恐らく縄文期に)日本列島に伝わったと考えますが、要するに長江文明に由来すると考えられます。
それは⑧にも言えます。
現在のベマ族はジャガイモで餅を作っていましたが、ジャガイモはそもそも海外から伝わったもののはずで、ベマ族が冷涼で乾燥している現在の地に移動してから使うようになったものと思われます。
想像するに、もともとは粘りのある「サトイモ」系のイモで餅をつくっていたのではないでしょうか。
日本でも月見団子のような古い習俗で供えられていたのは、もともと「サトイモ」だったといいます。
現在でもサトイモを月見のときに供えている地方があるとか。
ひょっとすると日本列島でも、もともとサトイモを杵や臼で撞いて「餅」のようにして、月見だけではなく正月などの祝い事の供え物にしていたのかも知れません。
それも稲作が伝わって普及する前から。
サトイモ、そして同じ系列のタロイモ、ヤムイモなどは、古来、(越族をルーツとすると考えられる)オーストロネシア語族の大事な主食でした。
拙著『影の王』でもやや詳しく述べたことですが、ワタシは縄文期にはすでにサトイモ農耕が日本列島に、越族(長江文明)由来の他の文化習俗とともに伝わっていたのではないかと考えています。
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つまり縄文にさかのぼる日本列島人とベマ族、そして越族には、非常に古い時代にまで遡る関係性が疑われるのです。
それは⑥(=祈祷にいざなぎ流に酷似する点がある)からも同じことが言えるかもしれません。
さて問題は⑦です。
祈祷の儀式で殺したニワトリの「血」で家々の戸口に魔除けの文字を書く。
これで恐らく誰もが思い浮かべるのが、ユダヤ教の「過越祭」のルーツとなった、モーセの「出エジプト」の際の出来事でしょう。
すなわち『旧約聖書』「出エジプト記」に書かれるのは、神がエジプト中の人や家畜の初子を全て殺すと伝えたとき、神の忠告に従って「家の戸口に子羊の血を塗った」イスラエルの民の家は(神が「過越し」たため)難を逃れた、というものです。
細かい相違点はあるものの、ベマ族の習俗とこれほど似ていると、同じルーツに起源を発するものなのではないかと考えたくなります。
同様の習俗は日本の「蘇民将来」の言い伝えとそれを起源とする魔除けの習俗にも見られます。
ベマ族 - 長江文明(越族) - 日本。
ベマ族 - ユダヤ - 日本。
果たして関係があるのか、無いのか。
それらの共通点、酷似する点などは偶然なのか、否か。
そうなると、最後の⑨が非常に意味深というか、重要なカギを握っているようにも思われます。
ベマ族に代々伝えられてきた歌がこれです。
われらは受難の民
異なる時代に 異なる場所から逃れてきた
この地にめぐり合えたのは 山の神のご加護
東西から集まった兄弟たちよ
山の神に祈りを捧げ
ここに安住の地を築こう
「受難の民」とはいかにもユダヤの民を思わせる言葉ですが、さて?
彼らが逃れてきた「異なる場所」とは中原の地なのか、長江流域なのか、チベットなのか*1、それとも……?