古代史は小説より奇なり

林業家kagenogoriが古代の謎を探求する

地上に描かれた謎の図形

 

 今回は、ちょっと不思議な巨大図形についてのお話です。

 

 問題提起という意味も込めて・・・

 

 

 

 

 

沖縄県久米島沖の海底図形

 

 このグーグルアースを開いてみて下さい。

earth.google.com

 

 

 沖縄本島の西にある久米島

 

 

 その久米島の真北、数十kmの海底に、

 

 巨大な長方形があるのがお分かりになるでしょうか?

 

 「地上に」というタイトルとは、いきなり反する海底ですが(笑)

 

 

 この長方形、ほぼ正確に東西南北の線に沿っています。

 

 

 そして長方形の内部にもやはり正確に東西と南北の直線が、

 

 いくつも引かれています。

 

 格子状?なのでしょうか。

 

 一体何だと思われますか?

 

 まるで古代の長安平城京平安京のようですね。

 

 よく見ると、その南側に大きなピラミッド状の山(海山)

 

 があることに気付きます。

 

 ただピラミッドは四角錐ですが、これは三角錐のようにも見えます。

 

 そういえば(この海底ピラミッドは南側ですが)平安京の北側には

 

 舟岡山がありますね。

 

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 本当に、これは一体、、、、、、、何なのでしょう?

 

 もしご存知の方がいらっしゃったなら、ご教示頂ければありがたいのですが。

 

 自然の造形でないことは、まず間違いないような気がします。

 

 

 では古代の遺跡? 

 

 それとも現代において、海底資源かなにかを採掘した痕跡?

 

 

 採掘跡にしては規模が大きすぎる(パッと見た所、約東西70km、南北50km)

 

 と思われますし、

 

 そもそもその辺りで何かが採掘された、されているという事実自体がありません。

 

 

 伊平屋島伊是名島の西方沖や久米島西方沖で、

 

 熱水鉱床のボーリング調査が行われたことがありますが、

 

 ボーリング調査ですから規模はスポット的なものですし、

 

 そもそも場所がかなりずれています。

 

 

 では某国が(笑)日本に断りなしに、海底でナニカやっているのか?(笑)

 

 その可能性は捨てきれません(笑)が、それにしてもやはり規模が大き過ぎます。

 

 

 では残る可能性、、、

 

 せっかく古代史ブログということもありますので(笑)

 

 何らかの古代遺跡である、という前提で検証してみましょう。

 

 

 まず、海底にあるので、たとえ古代人が高い建築技術を持っていたとしても、

 

 これだけ規模の大きな、たとえば都市のような構造物を、

 

 海底にこしらえるのは無理でしょう。

 

 

 となると、そこが陸上であったかもしれない、氷河期の時代でしょうか?

 

 それだと2万年さかのぼることになります。

 

 縄文時代の開始1万6千年前にまで遡ると言われますが、

 

 それよりもさらに数千年前に作られたことになってしまいます。

 

 

 何よりも問題なのは、

 

 氷河期において、もっとも海面が下がったのが120mと考えられている

 

 ことなのですが、

 

 この巨大長方形は、どうみてもそれより深い海域にあるように思われます。

 

 

 世界地図などで確認してみても、(正確な深度までは分かりませんが)

 

 少なくとも数百mの海底にあるように思われます。

 

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 要するに、たとえ氷河期の時代であっても、

 

 この海域は陸地にはなっていない、ということなのです。

 

 つまり、古代遺跡である可能性も、ほぼ、消えた・・・・

 

 

 

 ・・・・・・・検証するとエラそうに(笑)言ったわりには、

 

 結局なにも、分からずじまいでした(^^;

 

 

 ・・・本当に、これは一体なんなのでしょうか?

 

 グーグルアースのエラーか何かなのでしょうか?

 

 誰か、分かる方、いらっしゃらないでしょうか?(笑)😳

 

 

 

 

 

 

 

 

 

白山比咩神社を頂点とする正三角形

 

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白山比咩神社を頂点とし、国見山ー水葉山ー三輪山を結ぶ直線を底辺とする正三角形

 

 これはどうでしょう。

 

 ワタシが拙著『影の王』の構想を練っていた10年以上前、

 

 ボンヤリと石川県の地図で白山比咩神社周辺を眺めていた時に、

 

 偶然見つけたものです。

 

 

 まず金沢の山中にある国見山、水葉山、三輪山(みのわやま)が、

 

 きれいに同じ南北線に乗っており、水葉山はその中点にあります。

 

 

 そしてその直線を底辺にした正三角形を描くと、

 

 全国の白山神社総本宮である白山比咩(シラヤマヒメ)神社が、

 

 そのほぼ頂点に、ぴったりと乗ってきます。

 

(白山比咩神社と三輪山を結ぶ線の中点に奥獅子吼山がありますが、

 これはさほど正確ではありません)

 

 

 面白いと思いませんか?

 

 とても偶然に出来た図形とは思えません。

 

 ただ国見・水葉・三輪の三山は、自然の山ですので人工物とは言えないでしょう。

 

 しかし白山比咩神社は、もちろん違います。

 

 

 つまり・・・・

 

 古代において、だれか(あるいは集団)が偶然、

 

 国見・水葉・三輪の三山が、

 

 等間隔で一つの正確な南北線にのることを発見した。

 

 この場合、発見した人物・集団は、正確な測量技術を有していたと

 

 考えるべきです。

 

 

 古代において、この事実を発見した人物・集団は、これをどう考えたか。

 

 おそらく「神が作った聖なる三山」と思ったのではないでしょうか。

 

 

 それを自分たちが見つけたということは、

 

 この聖なる山々を祀って欲しい

 

 という神の意思なのではないか・・・

 

 

 少なくとも、「祀る必要がある」と強く感じたことでしょう。

 

 

 

 しかし・・・

 

 この三山のあたりは、ワタシも仕事でたまに行く辺りなのですが、

 

 とてもではないが、徒歩で度々訪れるなど不可能と思われる奥深い山なのです。

 

(今は道路が整備されてますが、それでもこの三山すべてを訪れるのは

 かなり難儀です)

 

 

 ではどうするか。

 

 そこで考えたのが、この三山から見て、正三角形の頂点にあたる場所

 

 お祀りするための「場」を設けること。

 

 それだったのではないでしょうか。

 

 

 しかし、いまそこに鎮座するのは白山比咩神社

 

 言うまでもなく白山をご神体とし、白山、そして白山の神を祀る神社です。

 

 この三山を祀っているわけではない。

 

 

 実を言うと、いま白山比咩神社が鎮座するこの地は、15世紀後半まで、

 

 別の神社があった場所なのです。

 

 

 

 その場所、

 

 もともとは白山七社のうちの「三宮(三宮姫神社)」

 

 があった場所だったのですが、祭神など一切不明。

※一応「白山比咩神の第三御子」とされているが、具体的なことは全く分からない。

 

 一部では、水の女である瀬織津姫が祀られていたのではないか、

 

 とも言われています。

 

 

 瀬織津姫、ここで詳しく述べる余裕はないのですが、

 

 要するに中央(大和朝廷)から「消された神」「隠された神」

 

 と思っていただければよろしいかと思います。

 

 

 どちらにせよ、中世半ばまで存在した重要な神社(白山七社のひとつ)の

 

 祭神さえ分からなくなっているということは、ちょっと異常です。

 

 意図的に隠されたとしか思えないでしょう。

 

 

 いずれにせよ、ここにかつて存在した「三宮(三宮姫神社)こそが、

 

 国見・水葉・三輪の三山を祀った祭祀場、のちの神社だった可能性は

 

 考えられるべきだと思います。

 

 

 「三」宮という名前もひょっとしたら、

 

 「三山」との関わりからきたのかもしれません。

 

 

 

 もっと、想像をたくましくすれば、、、、

 

 正三角形の頂点である現・白山比咩神社(旧・三宮)から下ろした垂線と

 

 底辺が交わる点(=底辺の中点)にあたる「水葉山」

 

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 その「ミズハ」という名前の由来となったと考えられる、

 

 「水」を司る蛇女神「ミズハノメ」(ミズハ=水蛇)

 

 祀った宮だったのかもしれません。

 

 

 

 

 

 

 

 

 他にも石川県で言えば、『影の王』でもかなり詳しく言及した、

 

 次の南北線東西線があります。

 

 

南北線: 

気多大社能登一宮)白山頂上ー伊勢の奥宮といわれる伊雑宮のさらに奥宮 

                といわれる「天岩戸」と呼ばれる洞窟

 

 

東西線: 

不動堂遺跡大境洞窟(縄文遺跡・巨大石棒出土)ー気多大社能登一の宮

富山県)  (富山県

 

 お分かりのように、どちらにも 能登一宮の気多大社が乗っています。

 

 つまりこの南北線東西線は、気多大社交点として、

 

 垂直に交わっているのです。

 

 

 そして、そのことがとてつもなく大きな意味を持っているのですが、

 

 拙著でも詳しく述べたことなので、ここではごく簡単に、

 

「太陽(太陽神)の『死と再生』を再現している」

 

 とだけ述べておきましょう。

 

 

 

 

 いかがでしたでしょうか。

 

 ワタシは石川県に住んでいるので、

 

 石川県に関係する地上図形に気付くことができ、

 

 その意味も、曲りなりに推論することができました。

 

 でも同じような巨大図形はここだけにとどまらず、

 

 ひょっとしたら皆さんの身近にも、ひっそりと眠っているかもしれません。

 

 もし地図を開いたら、そのような視点で探してみるのも、

 

 面白いのではないでしょうか(^ω^)