古代史は小説より奇なり

林業家kagenogoriが古代の謎を探求する

秦氏の謎2 秦氏とユダヤ人(1)日ユ同祖論、秦氏=ユダヤ人説について

 「日ユ同祖論」という説(?)があるのは皆さんご存知でしょう。

 ユダヤ人(イスラエル人)と日本人双方で、幾人かの論客が主張する日ユ同祖論には、いくつものバージョンがあるようですが、きわめて大雑把な説明をすれば、アジアの東の果ての日本人と西の果てのユダヤ人が、じつは先祖を同じくする同族だとするものです。

 

 もう少し詳しく説明すると、有名なソロモン王の死後、前九三〇年頃、全十二部族(+ラビ族)によるイスラエル王国十部族の「イスラエル王国」と二部族(とラビ族)の「ユダ王国」に分裂しますが、そのうち北のイスラエル王国アッシリアに滅ぼされて国民、すなわち十部族アッシリアに連行されます。

 その十部族がアッシリアが滅んだ後、跡形も無く消えてしまっていたという、いわゆる「失われた十部族」が、実は東を目指して遠路はるばる日本列島に辿り着いた、とする説です。

 いまの世界中にちらばっているユダヤ人や現イスラエル国の住人であるユダヤ人たちは、じつは皆、南のユダ王国の末裔なのであり、十部族の人々は「失われた」ままなのです。

 絶対に何処かにその子孫がいるはずだとして、何故だか風習や宗教、モノの考え方等がよく似ている日本人がそれなのではないか、というのがこの説。ザックリと言えば。

 

 一方で残った南のユダ王国の末裔、ユダヤ人が日本列島に来たという説もあるのです。

 

 どちらの説もさらにいくつかのバージョンがあるようです。

 なかでも有力なものとして秦氏ユダヤではないかとする説があるのです。この説の「ユダヤ人」も十部族(の中の一部族)だったり、ユダ王国系のユダヤ人だったりします。

 

 ワタシもこの手の話は昔から大好きでして、枕元においてはこれまで結構な数の本を読んできました。

 日ユ同祖論秦氏ユダヤ人説どちらにせよ論客の方々たちは様々な”証拠”を挙げています。

 なかでも最近この分野で第一人者になりつつある保有氏の著作は「出来るだけ客観的に、科学的に」という姿勢が見られ、好感が持てます。

 

 

  同様のことは、その著作で聖徳太子の”正体”を、痛快なまでに論理的に解き明かして見せた中山市朗氏にも言えます。

 もっとも中山氏は(あくまで論理的に考えて)秦氏ユダヤ人説を否定も肯定もしないが、可能性は否定できないという立場のようです。

 

聖徳太子 四天王寺の暗号―痕跡・伝承・地名・由緒が語る歴史の真実

聖徳太子 四天王寺の暗号―痕跡・伝承・地名・由緒が語る歴史の真実

 
聖徳太子の「未来記」とイルミナティ (ムー・スーパーミステリー・ブックス)

聖徳太子の「未来記」とイルミナティ (ムー・スーパーミステリー・ブックス)

 

 

  ワタシもある意味、中山氏と同様の立場と言えるかもしれません。

 つまり、否定も肯定もしない(というよりできない?)が、可能性まで否定できない、ということです。

 

 まず、この説を主張される方々の”証拠”というのはどれも明確な物的証拠ではなく、状況証拠と言いますか、あくまでリクツの上での傍証にしかならないものです。

 つまり、旧約聖書に書かれている具体的なモノや、現在のユダヤ文化にも残っているモノ、あるいはヘブライ文字が書かれた遺物なりが、日本で見つかっているのかと言えば、当然見つかっていないわけです。

   

 

 また大事なところなのですが、ワタシは当ブログの前のシリーズ「秦氏の謎 いつ、どこから来たのか」で、”秦氏長江文明の末裔、越人の末裔である”と主張しました。

 長江文明四大文明のどこよりも古い起源を持ち、四千年ほど前に既に”崩壊”してしまった文明です。

 つまり統一イスラエル王国が北のイスラエル王国と南のユダ王国に分裂するよりも、さらに千年以上前に長江文明は崩壊したわけです。

 前シリーズで述べたように、秦氏(の前身となる集団)はすでにその長江文明において「玉交易」を担っていたと考えられるのです。

 

 つまり、秦氏ユダヤ人の末裔であるはずがない、というのがとりあえずのワタシの考えです。

 

 にもかかわらず、では何故ワタシはこのような話をわざわざ持ち出したのか。

 

 ひとつには、日ユ同祖論者、秦氏ユダヤ人説の論者の挙げる”証拠”には、明確な(物的)証拠となり得るものはないが、かと言ってそれらを”明確に”否定できるのかと言えば、否定できないものも多いということ。

 

 そしてもう一つ。

 何よりも、長江文明の民でありその末裔であった「秦氏の前身となる集団」には、ユダヤ人との接点をもった可能性があったかも知れない。

 そう考えているからです。

 

 今回のシリーズでは、その「接点」の可能性について探っていきたいと思います。

 

 「接点」さえあれば、交易集団だった彼らのこと。

 ユダヤ人の文化を取り入れたり伝えたりもできたかもしれない。

 あるいはユダヤ人そのものを、勝手知ったる日本列島に案内も出来たかもしれない。

 あるいは、ユダヤ人との婚姻関係、すなわち秦氏集団のなかにユダヤ人の「血」が入るという事態さえ起きたかもしれない。

 ひょっとしたらそれが、単なる交易集団だった彼らが「秦氏」という氏族集団に結束する要因になったのかもしれない。

 

 少し先走りし過ぎましたね(笑)。

 次回からはその接点の可能性について、つぶさに検証していくことになりますが、さてどこから話を始めればよいものやら(笑)。

 

 ちなみに遅れましたが、ここでは日ユ同祖論・秦氏ユダヤ人説の詳しい内容(数々の”証拠”等)については、触れるつもりはありません。

 というか、ワタシごときが述べると、ただの「引用だらけ」になってしまいますので。

 興味のある方は他の書籍等で確認してみてください。

 やはりオススメは保有氏の著作でしょうか。

 

 ではまた次回。