義経と黄金 暗躍する「鬼」 ⑤
ちょっとご報告になります。
古代よりもさらにさかのぼる、歴史年表でいえば「原始」とされている(実は全然「原始」ではないのですが)縄文期における東北・関東を中心とする東日本、そして北陸の関係について、ワタシの中で一つの発見がありました。
じつにささやかな発見だったのですが、これまでのこのブログでワタシが説明しようとしてきた考えの再構築を促すものでした。
再構築といっても、ワタシの説の大きな枠組みが変わるというわけではなく、むしろ補強することになるものなのですが、今はまだその論説を組み立て直すにあたって、その方向性を探っているような状態です。
繰り返しになりますが、原始~古代にかけての東北(東日本)と北陸の関係についてです。
ワタシは拙著『影の王』という本の中で、縄文から弥生期あたりにかけて北陸に大きな宗教的国家(というよりは「クニ」)があったことを、論考したことがあるのですが、今回の『義経と黄金 暗躍する「鬼」』も、その説に基づいた論考になるはずでした。
しかしなーまんさんのブログを読ませていただいているうちに、古代の日本における関東、さらには関東を含めた東日本の重要性に気付かされるようになりました。
その辺りについての書物をいろいろ集めてチェックしていると、上記の「原始」と言われた時代の東北と北陸の関係について、一石を投じるであろう一つの「発見」があったのです。
その「発見」はささやか過ぎて、おそらくそれらの書物の著者の方々も含めて、誰もそのことには気づいていないのではないかと思われます。
そのささやかな「発見」は、いままで4回にわたって書かせていただいてきた『義経と黄金 暗躍する「鬼」』の今後の論考にも、大きく関わってくるであろうことが容易に想像できることでもありました。
そして、その発見によるワタシの中の「再構築」が、モロにその辺りの問題にぶち当たっているのです。
なので、当シリーズ『義経と黄金 暗躍する「鬼」』における、ここから先のこと(義経の逃避行、奥州藤原氏の関係等)を、このブログ上で筋道を立てて説明していく、ということは、一旦、閉じたいと思います。
ですが、ここからまた勉強していく過程で気付いたことや面白いと思ったことは、その時その時で徒然なるままに書いていくかもしれません。
本当に申し訳ないのですが、しかし、ワタシの中では、このままこの『義経と黄金 暗躍する「鬼」』を続けるわけにも行かなくなってきたのです。
どうか、ご了承いただければ、と思います。
一応、ですが、このあとどう展開しようとしていたのかの概要だけ、簡単に説明しておきます。
1.義経軍の強さの理由の一つとして、東北の優秀な鉄の刀、東日本の優秀な馬が無かったか、ということ。
2.義経の逃避行ルートは、当時の東北と畿内の「金属(特に黄金)運搬ルート」に深く関わっていたのではないか、ということ。
3.義経・弁慶の一行が修験者のいで立ちをしていたのには、当然、修験者集団の協力があったと思われる。修験者集団には熊野修験、白山修験、そして比叡・・・・
それらすべてを結びつけるネットワークがあったのではないか。
そして全国の金属民にかかわる日吉神人とその全国ネットワークもそれに関わっていたことは、当然、予測がつく、ということ。
4.日吉(天台)信仰の総本山である比叡山には、「金大巌(こがねのおおいわ)」という巨大な磐座(いわくら)が鎮座しており、もともと比叡山はそれを信仰とする「聖なる山」だった。
恐らく縄文か弥生あたりにまで遡るものではないかと考えられるが、日吉信仰の原型もそこにあるのかもしれない。
その磐座が「金(こがね)」と名付けられた(恐らく金属文化が入って来た弥生期以降)からには、「金属」とかかわる信仰の山であり、金属民が崇拝の対象としたのではないか。
つまり金属民と日吉信仰の関係は、相当古くまで遡る可能性があること。
それが、どのような山であるかを当然知った上でのことに違いないと思われる。
6.奥州藤原氏は白山信仰に深く心酔し、また密接に関わりを持っていた。
それはなぜか。単なる信仰心だけなのか。
7.実は古代後期あたりから(実はもっと以前から?)日吉(天台)信仰と白山信仰、そして日吉神人と白山神人は深いかかわりをもっていたことが知られている。
その「深いかかわり」のなかには、「金属」を介しての関わりも大きくあったはずである。
8.北陸も弥生期には優秀な金属を生み出し、またその加工品の産地であったと考えられる(物量的には少ないかもしれないが)。
弥生期にこの北陸に他を圧倒する精巧な木工集団が暮らすムラ(都市?)があったことが知られているが、それも優秀な金属製品があってのことであろう。
北陸に古くから金属民がいたのだとすれば、それが白山信仰・白山修験と結びついていったことは容易に想像できる。
※当シリーズでは上記のごとく書くつもりだったが、実は私見としてはかなり古い太古(「原始」と言われる時代)から白山(シラヤマ)信仰に関わった一族がいたことを想定しており、彼らが「金属」にも古くから深く関わっていたと考えて、その旨を拙著にてやや詳しく述べた。
9.金をはじめとする金属の力でのし上がろうとした奥州藤原氏が、白山信仰と深く結びつこうとした理由は、以上のことがあったからなのではないか。
白山神人から日吉神人を介しての金属流通ネットワークはもちろんのこと、金属採鉱・精錬の技術者もできるだけ欲しかったにちがいない。これは東北の技術者だけでは数が足らなかったと仮定しての話しではあるが。
10.義経をバックアップしていたのは、このような集団だったのだ。
強いはずだし、頼朝でなくても恐れるだけの力がある。すくなくとも鎌倉にはそう見えていたのではないか。
11.義経の逃避行ルートにも当然、これらの集団が総がかりで関わっていた、というのが私見。
以上、これらはあくまで私見にすぎませんが、このシリーズの以降の記事において述べようとしていたことの概要です。
問題は、奥州藤原氏が白山信仰に関りを持ったのが、東北と白山信仰の関係の始まりと捉えていたことです。
じつはそれよりもはるかに古くから白山(シラヤマ)信仰が「東北」に関わっていた可能性は、以前から考えており、拙著でもチラッと述べたりはしていたのですが、いかんせん、材料が少な過ぎたこともあって、それ以上は踏み込んでいけませんでした。
しかし冒頭で述べたとおり、古代の東日本に関する書物を読み始めて見ると(ホントにまだ読み始めの段階なのですが)、東北・関東と北陸・白山信仰の関係の歴史が、はるかに遡る可能性を示すことがいくつも見えてきたのです。
まだ読み始めにもかかわらず。
まだまだこれから東北・関東の古代の勉強をしていけば、当然自説の再構築や補強・補完が大幅に出てくることが予想される中で、この義経のシリーズをこのまま続けるわけにはいかなくなった(このまま続けても途中で自説そのものが変わる可能性さえ否定できない)、ということをご理解いただければ、と願います。
もちろん、勉強を続けていく中で、新たに見つけた面白話などは、これからも続けていきますので、今後ともよろしくお願い出来れば、と思います。