秦氏の謎 いつ、どこから来たのか(8) 長江文明と縄文文明
日本独自の文化、精神性を一万年以上もの長きにわたって培ってきたと言われる縄文文明。
しかしその縄文文明でさえも、海外の影響を大いに受けたものであることが分かってきています。
「海外」という言葉が示すように、四方を大海に囲まれた日本列島の文化が、それ以外の地域から影響を受ける場合、それは必ず「舟」を介して、ということになります。
つまり縄文文明が海外の影響を受けたというのならば、早くも日本列島に向けて航海してきた集団がいたということなのです。
縄文文明が受けたもっとも大きな影響、それこそが長江流域とそれ以南の江南地方から受けたものなのです。
前出の安田喜憲氏はその著書のなかで、長江文明と縄文文明の「交流」について重要な指摘をしています。
引用すると長くなるので要約しますと、
- 縄文前期・中期に代表される高度な文化は、長江文明の大きな影響を受けた可能性が高いこと。
- 例えば三内丸山遺跡や縄文前期(7300~5500年前)の福井県鳥浜貝塚からは、長江下流域の河姆渡遺跡(およそ7000~6500年前)出土のものと酷似した鹿角斧(ろっかくふ)が出土していること。
- 同じく三内丸山や鳥浜からは漆やヒョウタン、豆類が出土しているが、河姆渡でも漆を使い、ヒョウタンや豆類を栽培していたこと。
などを挙げています。
ここで補足しておきたいのですが、「漆」に関しては日本列島のほうが河姆渡よりもニ千年ほども早い、縄文早期九千年前の漆製品が見つかっており、また一万ニ六〇〇年前のウルシの木片が見つかっています。
このことから漆の伝播についてはむしろ逆で、日本列島から河姆渡に伝わった可能性のほうが高いのだと言えそうです。
つまり河姆渡から縄文に一方的な文化の伝播があったのではなく、互いの交流があったと考えられるのです。
河姆渡は七〇〇〇~六五〇〇年前頃で、河姆渡文化と呼ばれますが、長江中・下流域に栄えた長江文明は(人によって見方は違うようですが)一番古い見方では一万六〇〇〇前(つまり縄文文明と同じ時期)まで遡るといいます。*1
つまり河姆渡と縄文の文化の交流は、長江文明と縄文文明の交流なのだと言えます。
さらに前出の諏訪春雄氏は縄文が長江文明(諏訪氏は江南文化と表現)から受けた影響として、黒色磨研土器などいくつかのものを挙げていますが、特に興味深いのが高床式建築です。
高床建築ともいい東南アジアや南太平洋のほか、長江流域とその以南でもっとも普遍的にみられる南方の建築様式で、河姆渡遺跡をはじめとする長江中・下流域の遺跡で多数見つかっています。
日本列島でもすでに縄文中期(5500~4500年前)の日本海側の多くの遺跡で見られます。
特に富山県にある縄文中期の桜町遺跡では、用途にあわせた何種類もの高床式建物の遺構が発見されています。
柱材、梁材、桁材、壁材など多数の用材が出土しており、それらには「ほぞ穴」や「えつり穴」「貫穴」など部材を組み合わせるための加工が施されていました。
中でも驚くべきは「渡腮仕口(わたりあごしぐち)」という、これまで飛鳥時代の法隆寺金堂に使われたのが最古とされてきた高度な技法の跡まで見つかったことです。
つまりこの高度な技法が縄文中期にまで遡るということです。
このような長江流域由来の高床式建築が日本海側の多くの縄文中期遺跡から見つかっている。これが意味することは何でしょうか。
それはつまりその時期、長江流域からその建築技術を持った人々が、一人二人偶然に流れ着いたということではなく、おそらくは集団で渡航してきたのだと考えられます。
それは渡航先すなわち日本列島の情報(渡航ルート、海流、季節ごとの気候・風、どのような土地土地にどのような人々が居住しているか、など)を詳細に知っていないと出来ないことです。
縄文前期に栽培植物を持ち込んできた時点で、すでにそのような情報を彼ら長江文明人は持っていたに違いありません。
それは彼らがすでに日本列島との間を往き来していたことをも推測させますが、優秀な航海民であった長江文明の民・越人にとっては、それも難しいことではなかったでしょう。
優れた航海民であった越人は、縄文前期から日本列島に関りを持ち、頻繁ではなかったかもしれませんが恐らく往来もしていた。
これは日本列島に限ったことではなく、長江河口域から大海に乗り出していた彼ら越人は、長江以南の沿岸地域、台湾、東南アジア、北の山東半島、朝鮮半島南岸地域などにも展開したと考えられます。
一説には、さらに日本海北方のツングース族のルーツが、長江流域から海路、北方に移動した人々が現地の狩猟民族と出会ったことによるとも言われるほどです。
それはともかく、日本列島に限って言えば縄文前期から長江文明は日本列島の縄文文明に関わっていたことは間違いないと思われます。
問題はそれが「交易」と言えるものだったかどうか。
だとすれば、長江文明の秦氏の前身となる集団が関わっていたのかどうか。
それはまた次回で。
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