古代史は小説より奇なり

林業家kagenogoriが古代の謎を探求する

秦氏の謎 いつ、どこから来たのか(5) 秦氏と太陽信仰

 大和岩雄氏は秦氏の研究』のなかで、秦氏と古い太陽信仰のかかわりについて論じています。

 詳しく説明するとかなり長く繁雑になるのですが、そのひとつとして京都にいくつかある秦氏の聖地と言われる場所をそれぞれ直線で結ぶと、夏至の日の出線(冬至の日の入り線)、冬至の日の出線(夏至の日の入り線)になると述べています。*1

 

 前回述べたように、長江文明の太陽信仰には、そこからさらに派生した「鳥信仰」「蛇信仰」「死と再生の信仰」があります。

 そのうちの蛇信仰についてまず見てみましょう。

 

 まず日本古来の蛇の呼称としては、ウズ(ウジ)・ウツ・カカ(カハ・カガ)・ハハ・ツツ・ツチ(チ)・ナガ(ナギ)・ヌシ(ヌジ・ニジ)などがあります。

 民俗学者吉野裕子氏が日本の古代蛇信仰について論じた名著『蛇』では、ミシャグチ神について、その敬称「ミ」を除いた「シャグチシャクチ・シャクジ」の意味は「赤蛇」だと述べています。

 赤(シャク)蛇(チ)です。 

トウモロコシのヘビ, ヘビ, Pantherophis Guttatus

 吉野氏は同著の中でまた、古代の信仰における「蛇」は「太陽」と強く結びついており、また「赤」は太陽の色であると述べています。

 つまり「赤蛇」は太陽信仰における蛇信仰を象徴するものと考えられます。

 古代日本の蛇信仰を示すものとして有名なのは三輪山の神ですが、そのオオモノヌシ神は「丹塗矢」に変身して美女に近づき、思いを遂げてしまいます。

 丹塗矢は赤く塗った矢のことですが、三輪山の神は蛇神ですので、つまりは「赤蛇」です。

 もその形状から古代ではに見立てられ、さらに両者ともにその形状から男性のファロス(男根)に見立てられました。それが赤いということはすなわち男神の赤く怒張したファロスを象徴しており、オオモノヌシが美女と思いを遂げるのにわざわざ丹塗矢に変身したという「裏」の意味はそこにあります。

 また蛇神は金属神でもあると同時に「雷神」でもあります。

夜, 雷, ヤリカバク

 古代では「」は白とともに「光」(とくに「太陽光」)をあらわす色であり、つまり赤蛇は雷光をも意味するのです。

 雷を意味するイナヅマは稲妻と書きますが、元々は「稲夫」でした。

 それは太古において、雷は太陽神のファロスであり、それが地上に降ろされることで「大地の女神」を孕ませ、ひいては「大地の豊穣」をもたらすと考えられたことの名残と考えられるのです。

 赤蛇は「雷光(イナヅマ)」であり、「太陽神のファロス」である

 ちなみにアメノヒボコが主人公となる「日光感精説話」では、日光が「虹(ニジ=蛇)」すなわち太陽神のファロスとなって女神を妊娠させています。

 

 さて問題は秦氏です。

 

 秦氏といえば伏見稲荷大社

 

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 稲荷神社の縁起譚では秦伊呂具が餅を的にして矢を打つと、餅が「白鳥」に化して飛び立ち、降り立ったところに稲が生ったので稲荷神社としたといいます。

 白鳥はカラスと並ぶ「太陽神鳥」の象徴です。

 つまりこの縁起譚は明らかに、太古からある太陽神による大地の女神の妊娠=豊穣の神話の変形であると考えられます。

 これは秦氏の信仰の根底に、古い太陽信仰があることの証でもあります。

 稲荷信仰を象徴する色でもある「」はまさに太陽を象徴する色でもあります。

 秦伊呂具が放った「」、それによって生まれた「白鳥」はともに太陽神の分身、ひいては「赤蛇」と同等であると考えられます。

 

 秦氏と太陽信仰・蛇信仰の象徴である「赤蛇」との関係は、それだけにはとどまりません。

 秦氏の重要な聖地として、播磨地方の赤穂市坂越(サコシ)があります。

 秦河勝が晩年を過ごした地ともいわれ、ここに鎮座する大避神社の祭祀氏族は秦氏であり、祭神も秦河勝その人となっています。

 この坂越は大和岩雄氏『秦氏の研究』によれば、元々は「シャクシ」といったいいます。

 「シャクシ」は「シャクチ」の転訛でしょう。「赤蛇」です。

 つまり赤蛇という意味を持つシャクチ→シャクシ→サコシと地名が変化していったのだと考えられます。

 秦氏の聖地坂越が、「赤蛇」という意味の地名となっていることは非常に重要ですが、これには強力な傍証があります。

 他ならぬ「赤穂」の地名です。

 

 赤穂(アコウ)の地名の起源については諸説あるようですが、これといった有力な説というのも無いようです。

 私見では、この「アコウ」は「アカハハ」が転訛した地名ではないかと考えます。

 「ハハ」は先述の通り「蛇」の古語ですが、これは容易に「ホウ」に転訛します。

 例えば鳥取県西部の伯耆(ホウキ)地方はもともとが「ハハキ」であったものが「ホウキ」に転訛したものであり、掃除に使う箒(ホウキ)も元々は「ハハキ」でした。

 つまり赤穂も、まず「赤蛇」を意味する「アカハハ」から「アカホウ」に転訛し、さらに「アコウ」に変じたと考えられるのです。

 どうでしょう。

 秦氏の聖地である「赤穂」「坂越」ともに、「赤蛇」を意味する地名だった

 これはとても偶然で片付けられる問題ではないと思われます。

 その根底には古い太陽信仰とそこから派生した蛇信仰が横たわっているのです。

 

 秦氏と蛇信仰の関係を示すものは他にもあります。

 

 まず秦氏はもともと「ハダ」氏とも呼ばれていました。

 私見ではありますが、「ハ」は蛇の古語、「ダ」も「蛇」(蛇は「ダ」とも訓む)で、どちらも蛇の意です。

 「ハダ・ハタ」という氏族名は「」という意味があることは以前に述べましたが、彼らが「蛇」氏であることをも意味しているのではないかというのが私見です。

 

 また秦氏の族長(首長)であることを示す「太秦ウズマサ)」の称号。

 「ウズ」は先述の通り「蛇」の古語のひとつ。

 「マサ」は”勝”、”優”の字があてられるように他にマサるの意があるとすれば「ウズマサ」は「大いなる蛇」「偉大なる蛇」ひいては「蛇の首長」の意味になります。

 

 そして秦氏の首長・太秦だった秦大津父

 この「オオツチ」の「ツチ」も先述の通り蛇の古語。

 つまり「オオツチ」で「大いなる蛇」「偉大な蛇」となってウズマサと同じ意味となり、秦氏の首長としては実にふさわしい名だと言えます。

 

 秦河勝

 この「カワカツ」の「カワ」も、蛇の古語「カカ」から「カハ」(カとハも容易に転訛する)、さらに「カワ」に変じたと考えれれば、「カワカツ」でやはり「大いなる蛇」「偉大なる蛇」という、ウズマサにふさわしい名となります。

 

 秦伊呂具

 この「イログ」は別に「伊侶巨(イロコ)」とする文献があります。

 「イログ」「イロコ」はもともと「ウロコ」から来ていると考えられますが、従来では秦氏に魚系の名がわずかにみられることから、魚の鱗と考えられているようです。 

 しかし前出の吉野氏によれば、古代では蛇の鱗の図象にも呪術的な力があると信じられ、それを抽象化した三角紋菱形紋が古墳などにも多用され、その意味自体が忘れ去られた後世においても根強く残ったといいます。

 だとすれば、古くからの蛇信仰を保持していた氏族の首長が、呪力のある蛇の「ウロコ」を名乗ったことは大いに考えられます。

 名前が「魚の鱗」だとすれば意味不明瞭で要領を得ない名になってしまいますが、「蛇の鱗」だとすれば古くから日本列島に根強く残っていた蛇信仰との関わりから、じつに理解がたやすくなります。

 

 また蛇信仰と共に、長江文明由来の太陽信仰で重要な位置を占めていた「鳥信仰」がありますが、松尾大社を創建した人物に秦都理(トリ)がいます。

 

 さらに秦氏と太陽信仰の関係でいえば、弥勒信仰ミトラ信仰との関わりにも言及する必要がありますが、それはまた次回ということにしましょう。 

 

 

蛇 (講談社学術文庫)

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秦氏の研究―日本の文化と信仰に深く関与した渡来集団の研究

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古代海人の世界

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影の王: 縄文文明に遡る白山信仰と古代豪族秦氏・道氏の謎 (MyISBN - デザインエッグ社)

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*1:興味のある方は『秦氏の研究』を参照してください