ナマハゲ・アマメハギ~来訪神はどこから
大変勉強になりました。
ただひとつ気になる点が。
ナマハゲの起源に関する有力な説として、海から男鹿半島に漂着した外国人に土地の人々が遭遇して……といったことを番組では述べていました。
それは良いのですが、番組内の紹介の仕方だと、北方の海、とくにロシア方面から来た外国人という説明になっていたようです。
少なくともそのような印象を与えてしまうような説明でした。
もし本当に番組のスタッフや出演していた地元の専門家の方がそのように考えておられるのだとしたら、「チョット待った」をかけたい。
御存知のようにナマハゲは、能登のアマメハギや甑島のトシドンなどの他の9地域も合わせた10地域の「来訪神」行事として、ユネスコの無形文化遺産に登録されました。
注目すべきは10地域のうち太平洋側は岩手と宮城の2地域のみで、8地域は沖縄~九州西岸~日本海側、つまり対馬暖流に洗われる地域であることです。
さらに10のうちの半分、5地域が九州・沖縄地方。
これら10地域の来訪神行事は、いずれも共通点が多く、またナマハゲとアマメハギの語源がまったく同じ*1ことなどから、これらの客人神(マロウドガミ)=来訪神は、元々ひとつか近縁の習俗行事を持った人々が、南西諸島から対馬暖流にのって日本海側を北上したことで伝わった可能性が高いと考えられるのです。
もちろん北からの漂着や互いの交流があったことは否定できません。
たとえば歴史家の網野善彦氏は、鎌倉時代の絵に描かれた山賊の一人が「金髪で鼻の高い」人物であることを挙げて、北方世界との交流があったであろうことを指摘しています。
しかしブラタモリの説の紹介の仕方では、単独でどこか(北方)から漂着した印象を与えてしまいかねず、少なくともナマハゲと他の来訪神行事との類縁性等が、まったく無視されてしまっています。
しかし同様の客人神(マロウドガミ)=来訪神行事は、文化遺産登録されたもの以外にもいくつかありますが、いずれも南西諸島(沖縄県)のものです。
つまりこれらが南方から来た類縁性の高いものであることは、ほぼ間違いないと思われます。
ナマハゲをはじめとする仮面の意匠もいかにも南方的で、実際太平洋南方の島嶼部には似たような仮面習俗が散在しています。
太平洋側の2地域も本州最北端の岩手・宮城であることから、太平洋側を北上してきたのではなく、秋田まで北上してきた習俗(人々)が津軽海峡を通って両地域に定着したと考えるほうが自然です。
もし九州から太平洋岸を北上したのなら、中途にある四国・紀伊半島・東海・関東などにも同様の習俗が色濃く残っているはずですから。
また別の面からも、同じような習俗を持った人々(部族・集団)が南方から日本海側を北上した痕跡が認められる、とワタシは考えています。
同じく昨晩のブラタモリでは、魚と味噌を入れた汁に熱した岩石を放り込む地元の豪快な漁師メシをタモリさんが賞味するという一幕がありました。
タモリさんは一口すすって「味噌が甘口ですね」と言い、それが九州人にとっては美味い味だとも言ってました。
つまり、九州の味噌にかなり近いと。
じつは醤油も鹿児島や福岡、そして日本海側の石川県や東北地方などが、甘口であることが知られています。
さらには秋田では魚醤である「しょっつる」が有名ですが、能登にも「いしる・いしり」などと呼ばれる魚醤があります。
魚醤というのも実は南方、すなわち中国江南地方から東南アジアにかけての食文化です。
ワタシが考えているのは、このような来訪神行事を行う文化習俗を持っていた集団と、甘口の味噌・醤油、そして魚醤といった食文化を持っていた集団は全く同じ文化に属する集団(民族・部族)か同系統の集団ではなかったか、ということです。
そしてその集団の対馬暖流に乗っての移動~定着は、(仮面を使った儀礼の太平洋各地における広がりとその古さから)かなり古い時代に始まり、長い時間をかけて何波にも分けて行われたと考えられます。
ちなみにワタシはその最も古い一波は、縄文時代にまで遡ると考えています。
能登半島の先端近く、環状木柱列遺構(ウッドサークル)やイルカの骨の大量出土で知られる真脇遺跡では、縄文後期、おそらく四〇〇〇~三千数百年前の仮面が出土しています。
ヒモ穴があることから実際に顔に被って、マツリや何らかの儀礼を行ったのだろうと目されています。
その表情は「怒り」の表現に満ちています。
縄文の仮面は他にも数例知られていますが、「怒り」の表現は能登・真脇遺跡のこの仮面だけです。
同じく「怒り」の表現に満ちたナマハゲや地元能登のアマメハギのルーツではないか、などと想像してみたくなります。
以上のような食文化も含めた文化習俗を持って対馬暖流に乗って海上を移動し、縄文時代の九州から日本海側にかけて定着した人々。
それこそが、当ブログでたびたび言及しているオーストロネシア語族、そしてそのルーツと考えられる「越族」なのではないか。
それがワタシの考えなのです。
参考文献: