すべては沖縄から始まった~有史前の日本に何が起こったか(4)白山比咩神社が鎮座する「境の場」
白山比咩神社は加賀地方の鶴来(ツルギ)町(現・白山市)の、白山から流れ出る手取川を見おろす高台に鎮座しています。
手取川は古代においては比楽河と呼ばれていました。
「ヒラ」の”ヒ”は、古くから”シ”と転訛しやすい音であり、ヒラ=シラ、要するに「シラ」の川だったと(あくまで私見ですが)考えられます。
つまり「シラ」ヤマから流れ出る「シラ」の川の横に鎮座しているのです。
しかももっと大事なことがあります。
それはこの神社が、 「死の世界(あの世)」と「生の世界(この世)」のちょうど境界に位置している、ということです。
この神社は白山(シラヤマ)を源流とする手取川(シラの川)が、狭い山間部から広い平野へと流れ出る扇状地の「扇頂」部分、扇のかなめの部分に位置しているのです。
このことが意味することとは何か。
古来、「山」とは死者の霊魂が赴くところと考えられてきました。
なかでも「シラ(死と再生)」の山である白山はその最たるもの。
実はククリヒメ以外に、越前の平泉寺のようにイザナミを白山の女神としているところもあります。
前回述べたようにイザナギの妻だったイザナミは、黄泉の存在です。
つまり白山こそが列島中の死者が集まる黄泉の国という認識があり、そこからイザナミを白山の女神だとする考え方が出てきたのだと思われます。*1
古代において白山(シラヤマ)は黄泉=死者の世界(あの世)だと考えられていたのです。
つまり、白山から白山比咩神社が鎮座する扇頂部にまで至る山間部は列島規模における「死者の世界」 。
白山比咩神社を「境」にして、そこから下流域、すなわち人々が暮らす平野部はもちろん「生者の世界」 。
このように白山比咩神社は「シラ」の川のそばというだけではなく、文字通り列島規模における「あの世とこの世の境界」=大いなる「境の場」に鎮座しているのです。
もちろんこの場所に鎮座しているのは、偶然ではないでしょう。
はっきりと意識してそこに建てられたはずです。
ワタシの考えを述べさせてもらえば、シラヤマ、そしてククリヒメの「シラ」の力=「死から生への転換力」=「蘇り・黄泉がえりの力」を最大限に生かすため、そうとしか考えられません。
では何故、加賀という一地方にあるこの白山(シラヤマ) 、そして白山比咩神社が”列島規模”の「シラ」の場、 「大いなる境の場」となったのか。
それはこのシリーズ『すべては沖縄から始まった~有史前の日本に何が起こったか』でたびたび言及している、対馬暖流に乗ってやって来た人々が、海上から最初に見つけた最も秀麗な「白い山」が加賀の白山(シラヤマ)だったからだと考えられるからです。
コトは縄文時代にまで遡ると考えられます。
しかし縄文時代のハナシは後にとっておいて、まず「対馬暖流に乗って来た人々」についての話からした方が良いでしょう。
「対馬暖流に乗って来た人々」 、つま沖縄から来た人々のことです。
※イメージです
なぜ沖縄から来たと言えるのか。
前回まで述べたように「シラ」という共通の概念があることも、もちろんその一つです。
しかしそれ以上に、興味深く、しかも驚くべき共通点が、沖縄と加賀にあったのです。
それは次回で。お楽しみに。
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*1:この点については拙著『影の王』にて詳しく検証しました。