古代史は小説より奇なり

林業家kagenogoriが古代の謎を探求する

古代史

秦氏の謎 いつ、どこから来たのか(6) 牛祭りとミトラ信仰

京都太秦にある秦氏の氏寺、広隆寺。 広隆寺といえば「牛祭り」。 京都三奇祭のひとつで、もともとは広隆寺の境内社・大酒神社の祭りでした。 祭りの主役は摩多羅神(マタラジン)。 大きな白い面をつけた摩多羅神が牛の背に乗って現れ、境内を巡行したあと…

秦氏の謎 いつ、どこから来たのか(5) 秦氏と太陽信仰

大和岩雄氏は『秦氏の研究』のなかで、秦氏と古い太陽信仰のかかわりについて論じています。 詳しく説明するとかなり長く繁雑になるのですが、そのひとつとして京都にいくつかある秦氏の聖地と言われる場所をそれぞれ直線で結ぶと、夏至の日の出線(冬至の日…

秦氏の謎 いつ、どこから来たのか (4) 太陽信仰と長江文明

秦氏は弥生後期~末期にアメノヒボコとして渡来しました。 前回、ヒボコと長江文明(越人)の共通する特徴として、「海洋民(航海民)」「太陽信仰」「須恵器とその前身と言われる印紋硬陶」「優れた砂鉄精錬の技術」「水利土木の技術」の5つを上げました。…

秦氏の謎 いつ、どこから来たのか(3)真のルーツ

弥生時代の後期~末期(A.D.1~3世紀)に朝鮮半島の新羅・伽耶から渡来したアメノヒボコ。 そのヒボコは当時の秦氏そのもの、あるいは秦氏集団をいわば擬人化した象徴と考えられられます。 では秦氏のルーツは朝鮮半島なのかというと、実はそうではないと…

秦氏の謎 いつ、どこから来たのか(2)アメノヒボコ

アメノヒボコ。 天之日矛、または 天日槍と書きます。 『古事記』『日本書紀』『播磨国風土記』などで、朝鮮半島から渡来してきたと書かれる人物です。 『古事記』では「応神天皇記」で、「その昔、新羅国主の子アメノヒボコが渡来した」ことが述べられ、一…

秦氏の謎 いつ、どこから来たのか(1)

どうも、北陸は金沢で林業を生業としてますkagenogoriです。 「Good Old Music、Fantasticな高校野球」というブログをやってます。 そこでは、主に80's以前の洋楽、邦楽(ジャズ、フュージョン含む)について、大好きな高校野球について、その他日々思ったこ…