古代史は小説より奇なり

林業家kagenogoriが古代の謎を探求する

秦氏の謎 いつ、どこから来たのか(3)真のルーツ

 

 弥生時代の後期~末期(A.D.1~3世紀)に朝鮮半島新羅伽耶から渡来したアメノヒボコ

 そのヒボコは当時の秦氏そのもの、あるいは秦氏集団をいわば擬人化した象徴と考えられられます。

 では秦氏のルーツは朝鮮半島なのかというと、実はそうではないと考えられるのです。

 何故そう言えるのかといえば、秦氏とヒボコの特性をつぶさに見ていけばそう言わざるを得ないのです。

 つまり秦氏・ヒボコが日本列島に渡来してきたときの直接の出発地は朝鮮半島南部ですが、そこは彼らのルーツというわけではなく、あくまで中継地、一時的にとどまった地に過ぎず、真のルーツはさらにその先にあるということなのです。

 どういうことか見ていきましょう。まず、彼らが深く関わるとみられる籠神社です。

 ヒボコが「太陽信仰の海洋民」であり、またその将来した(もたらした)宝物のうち「奥津鏡・辺津鏡」で丹後籠神社と深くつながっているであろうことを、前回では述べました。

 前出の千田稔氏は、籠神社が「竹の文化」にかかわる神社*1であり、竹の文化は中国南方の文化であることから、アメノヒボコ中国大陸の南方に源流があるであろうと述べています。

 中国南方からいったん山東半島に北上し(春秋時代越国がまさしく同じ動きをしている)、そこから朝鮮半島に移動して最終的に日本列島へ、というのが千田氏の考えるヒボコ渡来のルートです。

 氏のこの考えには私も全面的に賛成ですが、その理由こそがヒボコの特長そのものにあるのです。

 ここまで見てきたヒボコの特長を再確認してみましょう。

  • 海洋民である。
  • 太陽信仰を奉じている。
  • 硬い須恵器を作る技術を持つ。
  • 品質の良い「鉄」の精錬技術を持つ。
  • 後裔氏族の秦氏土木、とくに治水の技術のスペシャリストだった。

 四番目の「鉄」については、ここまで述べていなかったので説明しましょう。

 前回ではヒボコの将来した神宝について、主に『古事記』の記述によって述べましたが、『日本書紀』が述べるヒボコの神宝のなかには、その別伝も含めると「出石の小刀」(別伝では「出石の刀子」)、「出石の桙(ホコ)」(別伝では「出石の槍」)、「胆狭浅(イササ)の太刀(別伝)」が挙げられています。

 いずれも神宝になるほどの優秀な鉄製品と考えられています。

 また、古代史の大家・上田正昭氏は、ヒボコの渡来伝承地には鉄文化とのかかわりを示す遺跡がかなりあり、ヒボコ集団の背景には鉄文化土木開発の技術があったと述べています。

 つまり、ヒボコの大きな特徴として「優秀な鉄の文化」というのがあり、後裔氏族の秦氏土木治水のスペシャリストたらしめていたのも、優秀な鉄製品の道具があってこそなのです。

 

 さて、ここで挙げたヒボコの5つの特長ですが、驚くべきことに古代の東アジアにおいて、これらの特長をすべて併せ持つ人々が、中国の南方にはいたのです。

 それこそが「(エツ)」または「百越(ひゃくえつ)の民」と呼ばれる人々です。

 越人、というと春秋戦国時代の「呉越同舟」で有名な越国の人々だけを指すと思われがちですが、実は越国のライバル呉国も民族的には「越人」であり、楚国にも多くの越人がいました。

 越人は広大な長江流域のおもに南側各地に細かく分散・展開したので、「百越の民」とも呼ばれるのです。

  ちなみに「倭人」というのは古代の日本人の呼び名ですが、もともとは越人のなかでも海に近い長江下流域の南部、江南地方にいた人々が倭人と呼ばれ、それがのちに朝鮮半島南部や日本列島にまで海路広がったものなのです。

 つまり倭人も越人のなかのの一つなのです。

 

 問題は越人が、ただの地方民族ではなかったということです。

 実はこの越人こそは、四大文明よりも古いとも云われる長江文明を担った民族なのです。

 先程、ヒボコの特長が越人の特長と重なることを述べましたが、それはそのまま長江文明の特長とも重なります。

 

 長江文明とは、長江中・下流に発展した古代文明で、その発生は四大文明の一つ黄河文明よりも2000年以上前、都市文明としてはメソポタミア文明エジプト文明と同時期かさらに古い6400年前にさかのぼります。

 そのまず挙げるべき特徴は稲作農耕民と漁撈民との融合によって起こった稲作漁撈文明ということです。

ベトナム, 米, 田んぼ, Haクザン, テラス, Hoang Su Phi

 これこそが畑作牧畜文明として知られる四大文明とのもっとも大きな違いであり、特徴です。

 稲作漁撈とはまさに越人の特長でもありますが、さきにヒボコの特長と重なるとした越人の特長を、少し詳しめに見てみましょう。

(諏訪春雄氏の『日本王権神話と中国南方神話』、安田喜憲氏の『長江文明の探究』『古代日本のルーツ 長江文明の謎』による)

  • すぐれた航海民である。
  • 太陽信仰の民である。
  • 印紋陶文化を持つ。*2
  • すぐれた砂鉄精錬の技術を持つ。*3
  • 土木、とくに治水スペシャリストだった。*4

 

 他にも挙げるべき特長はありますが、特にこの5つの特長はヒボコ(秦氏)の特長とほぼ完全に一致します。

 また先に述べたように、越人のなかでもとくに東シナ海に近い地域にいたのが、日本列島にも展開した倭人です。

  

 このようなことからアメノヒボコの源流は、長江流域に展開した世界最古ともいわれる長江文明にあり、そしてそれを担った越人にあると考えられるのです。

 ということはつまり、秦氏のルーツも長江文明にある、ということなのです。

 

 そのことをよりはっきりさせるために、アメノヒボコ長江文明の最大の特長ともいえる「太陽信仰」について詳細に知る必要があります。

 次回は長江文明とその太陽信仰について掘り下げていきます。

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*1:「籠(コノ)」は竹で編んだ籠(カゴ)

*2:百越に共通する文化で、紋様がついた陶器で非常に硬く印紋硬陶とも呼ばれ、須恵器の源流といわれる。

*3:長江文明の時代から少し下って春秋時代の呉越・楚の地は他の地域に先駆けて鋭利な鉄の剣を生産していたが、それを可能にしていたのがこの地の高度な砂鉄精錬の技術だった

*4:長江文明における六千四百年前の城頭山遺跡はほぼ正円の環濠に囲まれた城塞都市であり、また当時の道路一面や大型住居跡の床一面には世界最古の焼成レンガともいわれる四角いブロック状の紅焼土が敷き詰められていた