秦氏の謎2 秦氏とユダヤ人(7)接触の可能性 番外編 アルタイ山脈の金とユダヤ人
今回は「接触の可能性Ⅲ 海上ルート」の予定でしたが、急遽変更して(笑)前回の内容に追記する形とさせていただきます。
理由は先日NHKで放送された「中国秘境 謎の民 木馬 氷上を馳せる」を見たから(笑)。
ご覧になった方も多いと思いますが、実はワタシは録画した一時間半の番組のうち、1時間ほどしかまだ見ていません。
途中でカミサンにチャンネルを変えられてしまったので(笑)。
その時点で分かっている部分だけ(笑)、取り急ぎ報告したいと思います。
番組の舞台はアルタイ山脈南側の中国領。
主役はそこに暮らす突厥(トュルク系)の子孫だという遊牧騎馬民族トゥバ族。
前回の記事ではこのアルタイ山脈を、起源がわからない非常に古くからの金鉱で、紀元前10世紀のソロモン王の黄金もそこから得ていたのではないかと推測しました。
番組では”アルタイ”を「金とともにある」という意味だと紹介し、トゥバ族が古くから黄金の東西交易に関わっていたのではないかとしていました。
現在でも川底に多数の砂金がキラキラと煌めいている映像は衝撃的でもありました。
トゥバ族は中国の古い史書にも「木馬で氷上を馳せる」と記述されていますが、”木馬”とはなんと松材で作ったスキーのこと。
彼らは冬には現在でも、中国の歴史書の記述通りの方法で、雪に覆われた草原を手作りのスキーで駆け抜けます。
広大な白銀の平原を集団で颯爽と滑走する映像は、実に壮観でした。
付近の洞窟で発見された壁画には、スキーを履いた人々がしっかりと描かれています。
なんと一万年前の壁画です。
アルタイ山脈の金鉱の起源は定かではありませんが、現在でさえ川底にはっきりと煌めく砂金が見えるのであれば、当初はそれこそ山麓に流れる川は「黄金の川」だったに違いありません。
しかもそこには一万年も前から、冬でもスキーを履いて活動する人々がいた。
その人々が川底の大量の砂金に気付かなかったとは思えません。
金鉱としての起源もひょっとしたらその辺りまで遡れるのかもしれません。
前回述べた通り、アッシリアが「中央アジア北部の金」(アルタイはまさに中央アジアの東北の端)を得るために「黄金の道」を整備していたように、知恵者で知られるソロモン王もその情報は手にしていたに違いありません。
ユダヤ人が中央アジアに進出したのは、まさにソロモン王の時代が最初だったのではないかとワタシは考えています。
オリエント世界から中央アジア北部のアルタイ山脈を目指す中途に「キルギス」があります。
以前紹介した久保有政氏によれば、キルギス族には「自分たちの祖先は古代イスラエル人だ」という伝説があるそうです。
彼らには古くから『マナス叙事詩』というものが伝わっており、そこに書かれるキルギス族の由来譚は旧約聖書の記述と酷似する内容があるとか。
「マナス」も”失われた十部族”のうちの「マナセ族」のことだと久保氏は主張しています。
だとすれば、遅くとも十部族が消えた頃、紀元前8~7世紀のころには既に、ユダヤ人たちは中央アジアに根付いていたことになります。
そういえばと思って地図を確認しますと、現在のキルギス共和国とアルタイ山脈のあいだにあるジュンガル盆地には「マナス川」と「マナス」の街があります。
ちなみに、さらにそのジュンガル盆地とキルギスのあいだ、天山北路にある「イーニン(伊寧)」は「クルジャ」ともいい、唐の史書に書かれる「弓月城」ではないかと推測されています。
秦氏=ユダヤ人説の論者はこの「弓月城」を、秦氏の祖と『日本書紀』が書く「弓月君」と関連づけていますが、ワタシはこれにはかなり懐疑的です。
それよりもワタシが気になっているのは「エフタル」です。
5~6世紀にかけて中央アジア~インドに帝国を築いた部族です。
時代的にみれば秦氏とは直接の関係はないように思えますが、5~6世紀というのはこの部族が強勢を誇った時期であり、それ以前から中央アジアに割拠していたことは間違いないでしょう。
『文明の十字路=中央アジアの歴史』岩村忍(講談社学術文庫)より
問題は、中国の史書がこのエフタルを「嚈噠」と記述していることです。
日本語では「えんたつ」「ようたつ」と訓むようですが、中国語では「yanda」と訓むようです。
この「嚈噠」と古代中国人に書かせた、もともとの発音はなんだったのか。
ユダヤ人あるいはユダ族を「イェフダ」といい、秦氏=ユダヤ人論者はそれが秦氏の「ハタ・ハダ」になったのだと主張しているようですが、それはともかく、ワタシは「嚈噠」も「イェフダ」だった可能性もあるのではないかと(半信半疑ながらも)考えています。
エフタルの起源は中国の史書では「金山(アルタイ山脈)から南下してきた」とされ、他方、西方の史料ではバダクシャン(「バダフシャン」ともいい、パミールとヒンズークシの間の地方)としており、双方で異なっています。
しかし「金山(アルタイ山脈)」とかかわりがあると認識されていたからこそ、中国でそのように書かれた可能性もあり、だとすればアルタイの黄金と関わっていたユダヤ人(イェフダ)の交易民の末裔だったのではないかと、ワタシは想像の翼をかなり拡げて(笑)考えています。
12世紀に広く東方を旅行したユダヤ教の僧(ラビ)「トゥデーラのベンジャミン」の紀行によれば、その頃の中央アジアには多くのユダヤ商人が活躍しており、サマルカンドやブハラといった大都市にもユダヤ人社会があったといいます。
その起源は定かではありませんが、もしかしたらソロモン王の時代以来、アルタイの黄金とそれを介してトゥバ族やキルギス族に関わったユダヤ人たちの末裔なのかもしれませんね。
少なくとも非常に古く(紀元前)から、ユダヤ人が中央アジアに関わっていたことは間違いないように思えます。
参考文献:
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