古代史は小説より奇なり

林業家kagenogoriが古代の謎を探求する

秦氏の謎2 秦氏とユダヤ人(5)草原ルート 番外編2 アシュケナージの起源はハザールか

 前回はアシュケナージの歴史について確認しました。

 ではハザールとは何か。

 

 ハザール族遊牧民族であることは間違いないのですが、歴史に名を連ねた他の遊牧民族と同様、その起源はよくわかっていません。

 恐らくトルコ(テュルク)系だろうということで、専門家の意見は一致しているようです。

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 彼らの原郷もはっきりしません。

 「###の辺りである」と書かれている資料も見かけますが、あまり当てにしない方がいいかもしれません。

 遊牧民族は常に移動を繰り返すもの(部族間の盛衰が激しかった当時ならなおさらのこと)ですし、トルコ系からハザールという一部族が立ち上がった時期さえはっきりと分からないのですから。

 

 ビザンチン帝国からのフン族アッティラへの親書(5世紀)にハザールの名が書かれていたようですが、はっきりするのは6世紀末~7世紀にかけての西突厥支配下にあった時です。

 このときハザールはカスピ海西岸から黒海北岸地域に進出していましたが、7世紀中ごろ、西突厥の衰退とともにハザール国(ハザール王国)を興しました。

 

 それも束の間、7世紀後半には南から新たなイスラム勢力が北上し、何度も戦闘をけしかけて来てはハザールを悩ませ、また北方民族からの圧迫も受けるようになります。

 一方ビザンチン帝国とは以前からの軍事同盟が発展し、8世紀後半には婚姻関係を結ぶまでになります。

 

 そんな中、ハザール国は(ユダヤ人でないにもかかわらず)ユダヤ教に改宗するのです。

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 改宗の時期は説によって740年頃だったり、9世紀初頭だったりします。

 理由もまたはっきりしません。

 「アシュケナージ=ハザール」説の人たちは、キリスト教ビザンチンイスラム教勢力両方の圧迫を受けて、中立的なユダヤ教に国ごと改宗したのだという説明をしているようですが。

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 これでは正直、政治家の「玉虫色の回答」となんら変わることのない、分かったような分からないようなレベルの説明だと思います。

 

 ワタシが思いますに、まず、手近にユダヤ教の手本(つまりユダヤ教徒)が存在しない限り、国家ぐるみで改宗するなど、まず無理だろうということ。

 また、ハザール国の国民すべてが改宗したように勘違いしている向きも見られますが、これは誤りで、改宗したのは主に支配者層の人々です。

 それさえも改宗に従った一群と、それに反対する一群がいたといいますが、まあそれも当然のことでしょう。

 彼ら遊牧民というのは強力な指導力を持つリーダーには従い、それが強大な軍事力を生み出すことにもなるのですが、それはあくまで、そうすることで自分がトクをするから。

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 リーダーがそれほど強力ではない時や、自分(自分の一族・部族)の得にはならないと判断した時には、いとも簡単に従わなかったり、その支配下から去ったりします。

 もちろんその判断の責任も命をかけて負うわけですが。

 要するに国民全体が無条件にパッと改宗することなど、遊牧民の常識からしたら考えられないことなのだと思われます。

 

 それはともかく、前述したように彼らがユダヤ教に改宗する決心をしたのなら、そのお手本が身近に存在したはずです。

 

 前回述べたことを思い出していただきたいのですが、じつはこれよりはるか以前の紀元1世紀からすでに、カフカズ山脈北側から黒海北岸・クリミア半島の辺りには、ユダヤ人たちが居住していました。

 まさにハザール国の中心部だったところです。

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 その後近代にいたるまでその存在が連綿と続いていたことが確認されていますから、ハザール国の時代にも当然そこにはユダヤ人の集団がいたはずです。

 ハザール国にはユダヤ人がいた

 そう考えればハザールが集団改宗した「謎」も実にすんなり解けますし、実際その可能性は高いと考えられるのです。

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 遊牧民国家というのは、征服して支配下に置いた民族でも、その中に優秀な人材があれば、積極的に登用します。

 それが出世を重ねて、王の右腕にまで昇り詰めるような実例もしばしば起こります。

 一方、オリエント世界でも、あるいはのちのヨーロッパやアラブ世界などの他国においても、宰相をはじめとする重要人物を何度も輩出してきたユダヤ民族のこと。

 ここハザール国においても同じことが(それも一度や二度ではなく何度でも)起こった可能性は十分にあるとワタシは思います。

 

 ハザール国がユダヤ教に改宗した理由

 それはハザール国の中枢に入り込んだユダヤ人による、王への助言・提言があったから

 ワタシはそう考えています。

 常識的に考えても、これが一番可能性の高いシナリオだと思います。

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 そうだとすれば、当時のハザール国には、元々そこにいたユダヤユダヤ教徒改宗したハザール人ユダヤ教徒、そして両者の混血ユダヤ教徒もまた多数いたはず(遊牧民には農耕民族ほどには「民族の純血」という概念は希薄)です。

 つまり、「ハザール人にはユダヤ人の血は一切流れていない」という前提は、ここで崩れます

 

 アシュケナージ=ハザール」論の支持者が言うように、もしハザールのユダヤ教徒が13世紀ごろ大挙して東欧に流れ込んで住み着いたのがアシュケナージムだという説が正しいとしても、そもそも彼らの中にはユダヤ人の血が流れていた可能性が高いのだと思われるのです。

 

 ただここまで説明しといて言うのも何ですが、ワタシはアシュケナージムの起源」に関しては、ハザールのユダヤ教徒は一切関与していないと考えています。 

  

 

 前回見たように、アシュケナージムの歴史は(もちろん不明なこともありますが)、少なくとも彼らの出どころに関しては、割とはっきりしています。

 すなわち、ディアスポラ(民族離散)により西ヨーロッパ各地に移住したユダヤ人。

 彼らのうちとくに北フランス・北イタリアにいたユダヤ人の多くが、8~9世紀にかけてドイツに移住

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 彼らは世代を重ねるうちに10世紀ごろにはユダヤ的ドイツ語を話すようになります。イディッシュ語の萌芽です。

 13世紀に「ユダヤ人の隔離」という決定が宗教会議でなされると、彼らのドイツ語もさらにユダヤ的色彩を深め、これがイディッシュ語」(西イディッシュ語となります。

 これが実質、アシュケナージの誕生と考えて良いと思います。

 11世紀十字軍をきっかけとして、彼らはドイツ(だけではなく西ヨーロッパ各地)で迫害を受けるようになります。

 さらには14世紀ペスト禍における「犯人」とされてしまったため、いっそう激しい迫害・拷問・殺戮を受けるようになり、追放令まで出されたことで、多くのアシュケナージがドイツを逃れ東欧に移住

 特にポーランド王国ユダヤ人への優遇政策をいち早く表明し、移住を呼び掛けたので、多くのユダヤ人(アシュケナージ)が移住しました。

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 彼らはそこで束の間の繁栄を謳歌しますが、そこでイディッシュ語が東欧風に変化。それが「東イディッシュ語です。

 現在アシュケナージムの言語とされているイディッシュ語とは、この東イディッシュ語です。

 

 以上が、前回確認したアシュケナージムの歴史のおさらい(というには長くなりましたが)です。

 見ての通り、アシュケナージムのルーツ西欧各地からドイツに移住したユダヤです。起源ははっきりしていのです。

 しかも、歴史上分かっている限りにおいては、そこにはハザール難民の入り込むスキは全くありません

 別にハザールをわざわざ持ち出さなくても、彼らがいかにして「東欧系アシュケナージ」となったのかは、歴史としてほぼ説明できるのです。

 

 アシュケナージ=ハザール」論に一応目を向けてみても、いくつかの重大な疑問が湧き上がってきます。

 

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 彼らがいうには、それまで存在していなかったアシュケナージという部族が、いきなり東欧に大量に出現したと。 

 それはハザールからの非ユダヤユダヤ教徒が侵入して、ユダヤ人としてふるまって定着したものだと彼らはいいます。

 だとすれば最低でも数万人単位、恐らくは数十万単位のハザール人が東欧に侵入したことになるでしょう。

 

 そこで疑問です。

 

①まずそれだけ大量のハザール人が東欧に侵入すれば、もともといた在地の東欧人との軋轢は起こらなかったのでしょうか?

 

 ハザール人トルコ(テュルク)系遊牧民出身で、ハザール国は彼らが大草原に築いた遊牧国家です。

 そんな彼らが敵から逃れるように大量移動するとき、必ず「騎馬」の集団を伴っていたはずです。

 遊牧民の歴史が証明しているように、そのような騎馬を伴った遊牧民の集団が定着農耕民の村落や都市部へ侵入するとき、「軋轢」どころか必ずと言っていいほど起こるのが、 「略奪」「強姦」「殺戮」です。

 逃亡してきた彼らハザールが東欧につく頃には、あらゆる面でぎりぎりの状態だったはずであり、そのような事態が全く起こらなかったということは、じつに考えにくいことです。

 万が一そういうことが起こらなくとも、現地の東欧の人々がそれだけの突然の大量移民を、黙って受け入れるとは到底思えません

 常識的に考えてあり得ないことです。

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②そしてそれだけの大量の移民という大事件(軋轢、略奪等も含めて)が、何故記録に残っていないのでしょうか?

 

 何事も記録に残すことが殆どない遊牧民の所業とは言え、「コト」はヨーロッパで起きているのです。

 もし本当にハザールからの大量移民があったのならば、それが記録として残されなかった確率は、限りなくゼロに近でしょう。

 そしてそのような「歴史」があったことは、現時点では誰も知らないのです。

 

 

③ハザール人はトルコ系遊牧民ですが、彼らはどうやって東欧よりもっと西方にあるドイツ語を、さらにユダヤ風に変化させたイディッシュ語(西イディッシュ語を、さらにまたスラヴ風に変化させたイディッシュ語を造り上げたのでしょうか。

 

 もし本当なら、ドイツと縁もゆかりもない彼らが、じつに短期間のうちに、複雑な手順複雑な言語を造り上げたものです。

 いったん集団でドイツに、語学留学でもしに行ったのでしょうか?

 それにしても天才的な語学集団です。

 

 

④百歩譲って、彼らがイディッシュ語を造り上げたとして、その言葉になぜ、トルコ系の言語の痕跡(単語やなまりなど)が一切残っていないのでしょうか。

 

 本当なら、まさに天才的な語学能力集団です。

 

 

⑤また百歩譲って、そのような(トルコ系言語の痕跡を一切排除したことなど)高度に意識的に造られた言語を、おそらく数十万単位の移民全てに周知徹底する(トルコ系言語の痕跡が残っていないということはそういうことになる)ことなど、果たして可能なのかどうか。

 

 本当なら、まさに天才的な語学能力集団(数十万人単位)です。

 

 

 このように、ワタシのようないわばド素人が見ただけでも、これだけの疑問点・反証がいくつも出てきます。

 ちゃんとした専門家の方が、それこそちゃんと検証すればもっと多くの疑問や反証が出てくるのではないでしょうか。

 

 他にも気になることはあります。

 

 アシュケナージ=ハザール」論者たちは、ハザール国が滅んだあと、その民が”消えた”ことを問題視し、それが彼らの多くが東欧に移動してアシュケナージとなったという説の根拠というか傍証とする向きもあります。

 しかしですが、歴史上じつに数多くの遊牧国家が興っては亡んでいきましたが、遊牧国家が滅んだあとの国民(=おもに遊牧民)のゆくえが不明となるのはしばしば、というよりごく当たり前のように起こっていたことなのです。

 そのような場合、大体は周囲の遊牧民族のなかに分散・吸収されてしまったと考えられています。

 ネガティヴなことのように思われるかもしれませんが、要は生き残ればいいのです。

 定着農耕民と違って遊牧民はその点、自由というか融通が利きます。

 

 またハザール国そのものについても、「謎」が多いことがよく問題にされるようです。

 しかし中央アジアを中心とした遊牧国家の興亡史において、一つの国の始まりと滅亡の時期、その構成民族(部族)、そして存在した場所まで、これらのすべてがはっきりと判明しているほうが、実は珍しいのです。

 例を挙げれば、中央アジア史上に名高い「大宛」は、その場所さえ明らかにはなっていませんし、同様に名高い「エフタル(嚈噠:えんたつ)」も、どの民族系統に属するのかよく分かっていません。

 記録をほとんど残さない遊牧国家が、多くの謎を残すのも当たり前といえば当たり前です。

 

 

 もちろんハザールの人たちが全く東欧に向かわなかったとは言いません。

 ただ、ハザール難民たちの多くは周囲の他部族に分散・吸収されたと考えられ、東欧に向かったとしてもハザールの一部でしょうし、もともと人口の少ない遊牧国ですから、さらにその数は少なかったでしょう。

 そしてその中のユダヤ教徒は、さらに少ない支配者層の、さらにその一部なのです。

 はたしてこれが、”大量のアシュケナージムの出現”につながるものでしょうか?

 

 

 

 以上述べてきたように、アシュケナージはハザールの末裔ではあり得ない、というのがワタシの考えです。

 百歩譲って、ハザールからきたユダヤ教徒アシュケナージの中に多く入っていたとしても、最初に述べたように、ハザールユダヤ教徒自体が、ユダヤ民族の血をある程度受け継いでいる可能性が高いのです。

 

 

 ですからアシュケナージ=ハザール」論者たちの言うように、アシュケナージにはユダヤの血は入っていない、ユダヤ民族の末裔ではない、とする論説は成り立たないのです。

 これがワタシのアシュケナージに対する結論です。

 

 確かに、現在様々な分野において優秀な業績を上げ、世界中で大きな力を手にしているように見えるユダヤ人の主力であるアシュケナージが、実は本当のユダヤ人ではない、とする論説は陰謀論などもからんで面白おかしく、魅力的に思えるのは仕方ありません。

 だからと言ってこのような説を大きく取り上げ、真実であるかのように吹聴し、社会の中で大きな影響を持たせてしまっているような現状というか風潮が、ワタシは好きではありません。

 

 ワタシのような者でさえ、ごく簡単にいくつもの疑問点や反証を挙げられるくらい、この論説は穴だらけの不完全なものでしかないように思われます。

 にもかかわらず、いまだにこの説を支持する著作がいくつも世界中に出回っているこの現状。

 

 またここでヒトラーを持ち出すのも気が引けますが、彼が信じていたように、ユダヤ人をして狡猾な民族だと考える人もいまだに世界中に多くいるように思われます。

 しかしワタシに言わせれば、ドイツ人だって十分に狡猾な面はあるし、イギリス人やアメリカ人やフランス人、あるいはロシア人や中国人、ひいては日本人だって狡猾な面は無いとは言えません。

 ユダヤというのは、自らを第三者の目で見るのが最も得意(?)な民族で、その欠点さえ「笑い」に変えてしまうような人たちです。

 その分、他の民族より幾分マシだという見方もできるのです。

 

 

 アシュケナージ=ハザール」論がこれほど世界中に敷衍するようになったきっかけは、アーサー・ケストラー『第十三支族』(邦題ユダヤ人とは誰か』)だと言われています。

 自身もハンガリー出身のユダヤだったケストラーは、偉大なジャーナリストにして思想家であり、真に尊敬すべき人物だと思います。

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 そのケストラーが、このような論説を勢いでかどうか、ともかく世に出してしまった。

 ワタシのような素人でさえその不備に気付いてしまうような論説の欠陥に、賢明なケストラーがあとで気付かなかったとは思えません。

 しかもその内容はと言えば、自分の同胞の多くを傷つけてしまうどころか、その存在理由までおびやかしてしまうようなものだった。

 ケストラーのことを詳しく知っているわけではないのですが、晩年の彼は深い後悔の念と失意の中にあったのではないでしょうか。

 そしてそのまま死を迎えたのではないか。

 そのようなことまでワタシは思ってしまうのです。

 

 

 最後はなんだかシンミリ(笑)してしまいましたが、次回は話を戻して、古代ユダヤ人が東へ向かう可能性としての『高原・砂漠ルート』 、言い換えれば『オアシスの道』として知られるルートについて検証したいと思います。

 

参考文献: 

ユダヤ人 (講談社現代新書)

ユダヤ人 (講談社現代新書)

 
イディッシュ文化―東欧ユダヤ人のこころの遺産

イディッシュ文化―東欧ユダヤ人のこころの遺産

 

 

図説 ユダヤ教の歴史 (ふくろうの本)

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遊牧民から見た世界史 増補版 (日経ビジネス人文庫)

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